福島県武術太極拳連盟の創立20周年記念太極拳交流大会は18日

 福島県武術太極拳連盟の創立20周年記念太極拳交流大会は18日、福島市の国体記念体育館で開かれ、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で避難生活を余儀なくされているなみえ武術太極拳友会(浪江町)の4人といいたて太極拳サークル(飯舘村)の7人が合同で演武を披露した。メンズシューズ 
 大会実行委が太極拳の仲間を支えたいと避難者に発表の場を設けた。大会前日に11人が顔を合わせ、本番直前までリハーサルを繰り返した。 
 県内の愛好家600人が演武した交流会の大トリ。大震災と原発事故で故郷を奪われても心までは奪われないとの場内アナウンスで迎え入れられた11人は、復興支援曲花は咲くに合わせて心を1つに演武した。コート 
 いいたて太極拳サークルは昨年10月に活動を再開し、支え合ってきた。 
 記念式典で望木昌彦会長があいさつし、20年間在籍の33人や遠藤淑子理事長ら功労者を表彰した。 仏像好きの私はお寺を巡るのが趣味で、時間を見つけては京都や奈良を訪れている。しかし、自分が知っていることを確認する程度の通り一遍の観光をしても面白くない。ブーツ複眼的な“ものの見方”をするために、いろいろな本を旅の友に持っていく。

 その中の一つが土門拳の『古寺を訪ねて』だ。これは写真集だが、横に添えてある土門の文章も味わい深い。大きさもポケットサイズで手ごろな価格で売っている。ブレスレットもし本屋で見つけたら、ぜひ一度手に取っていただきたいと思う。

 私が最初にお寺に興味を持ったのは大学生のとき。その出合いはとても印象的だった。京都大学に在籍していた私は、5月の雨の降る日に、北区紫野にある大徳寺にフラッと訪れた。ネックレスなぜ紫野と呼ばれるかについては、紫野とは、染料の紫をとる紫草がはえている野をいう(司馬遼太郎著『街道をゆく』)など諸説ある。しかし、そのときの私の目には、大徳寺の伽藍が薄紫の霞の中に浮かんだ。びっくりするぐらい幻想的な世界に囲まれた私は、これがきっと『紫野』のイメージなんだと、勝手ながらも納得したのだった。

 土門の著作をはじめて手にしたのは、旭化成の子会社である旭シュエーベルの社長をしているころだった。イヤリング当時旭シュエーベルの本社は大阪にあり、私は近郊の高槻に住んでいたので、西国街道を京都まで片道約30キロの道のりを、自転車でよくサイクリングしていた。いまでも自転車でさまざまな名所旧跡を走り回っている。自宅には自転車が4台もあって、私の家内からはあなたのカラダは一つしかないのに、(自転車が)4台あってもしょうがないでしょうと渋い顔をされている(苦笑)。

 ほかにもお寺について印象に残っている本はいくつかある。財布まず、哲学者の和辻哲郎が20代で書いた『古寺巡礼』がある。この本の特徴は、和辻が独学で勉強しながら、東西文化の融合をうまく説き明かそうとしている意欲作で、彼の自由な“ものの見方”を面白く感じた。

 五木寛之がテレビの紀行番組で訪れた寺院をまとめた『百寺巡礼』もまた新しいものの見方に出合うことができる。五木寛之は、情念の世界からお寺を見ているようだ。ハンドバッグ京都大原にある三千院について、もし仮に京都に光と影があるならば、大原は京都の影の部分だという気がするなどという見方をする。

 光は、物質の姿を明確にする。それに対して、影はすべてを呑み込むわけだから、影の中にはすべてがある。この本を読んで谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い浮かべる人がいるかもしれない。こういう見方ができるのかと1人悦に入りながら、寺を訪れるのだ。

 ただ、いま挙げた本はやはり活字の世界。想像をかき立てるという意味では面白いが、写真集である土門の『古寺を訪ねて』には、さらにすごみが感じられる。

 本書は土門が何を意識して撮影しているか、当然作品として表現されていることはわかっても、その写真の撮り方を我々が真似ようとしてもできないと思う。

 例えば、奈良・法隆寺中門の礎石だけを撮った写真がある。この写真の特徴は、部分を強調して、全体を表現していること。これは誰にでも理解できるはずだ。だが、土門がその部分を全体に結び付ける方法を考えるにつけ、なるほどこの部分をちょっと意識するだけで、全体の見え方や“ものの見方”はここまで変わってしまうんだなと感じる。被写体の本質をえぐり出す方法に関しても、いつ見ても、どれを見ても感心する。透き通った花弁の中で息吹が見える心が見えるという文章そのままの写真を土門は撮っているのだ。

 土門が写しているものの多くは、建築物や彫刻、仏像など、人間がつくったものだ。しかし同時に、作品の至るところで自然が写しだされている。そんな自然と人工物の調和に着目して読み返してみるのも私が発見した本書の醍醐味だ。